今日は『待つ』と言う事についてお話します。
モンテッソーリ教育において教具は基本的に1つしかありません。誰かが使っていると他の子どもは使えませんね。
つまりこの教具を使いたければ待っていなければなりません。
これがこの教育の特徴でもあります。
どうしてもやりたい子どもは、この教具を使っている子どものそばで待っています。
しかし決して『早くやりなさい』とは教師は言いません。
それは、その子どもが他の子のやっているのを観る事で、使い方を自然に学んでいく事が出来るからです。
それだけではありません。
『他人の仕事を見る態度』と言うお仕事があります。
他人が使っているものは手を出さない。
邪魔にならないように見る。
等を通して人とのかかわり方も学んでいるのです。
又、どうしてもその教具(お仕事)をしたい子どもは待てます。
待って待って終に出来る!となった時、その子は一生懸命やり、とても集中します。
そしてやり遂げた時、その子は喜びに満ちた表情を見せます。
この行為が日常化した場合、当然待つことが苦痛でなく期待を込めて待つと、『待てばできる』と言う事が理解出来るようになってきます。
これがとても大事ですね。
待つと言う事がモンテッソーリ教育の特徴でもありますとお話ししました。
中には待てないお子さんもいます。
待たずにどこかに行ってしまう場合は、そのお仕事に対してそれほど興味がないとも言えます。
しかし、その教具が奇麗だったり、可愛かったりしてチョっと触ってみたい時もありますので、
その教具が空いているときに教師はその子に声をかけ促します。
教師と一緒にお仕事することで、その教具により興味を抱くこともあります。
基本的に教師と子どもは1対1でお仕事しますので、待たせる場合があります。
教師によって待たせ方は様々だと思いますが、私の場合は、私がその時いる場所に子どもたちは列を作ります。
来た順番です。小さいお子さんはまだ待てませんので順番を無視してすぐに私のところに来ます。
『ちょっと待ってね』と教師は言います。
最初は難しいですが、他の子どもたちを見て、段々と少しずつ列に並んで待つようになってきます。
自然に自分で考え、理解するのがお子様にとって一番良い事だと思います。
『そんなに待ってたら、やりたい時にお仕事できないじゃないですか?』
と言う意見もあると思います。
子どもはただボーとして待っているわけではありませんし、教師や他の子供を観て、話してることを聞いて、その場の空気を感じて、考えているのです。
待つという行為を『他人がお仕事をやっているのを待っている』という事のみに焦点を当てるのではなく、子どもの発達の助けとなるととらえていただければよいと思います。
手を動かして何かをしているだけが、お仕事ではないのです。
待つという事もお仕事なのです。
『モンテッソーリは何でも自由にできるんですよね』と言われる方がいらっしゃいました。
子どもには自由にお仕事を選ぶ権利と好きなだけそれを続ける権利があります。
しかしそれには使ったものをも元の場所に元の通りに戻す義務もあります。
ルールがあると言う事です。
自分が好きな時に好きなように何でもできると言う事はどの社会においても難しいですね。
それは子どもの集団の場所でも同じです。
子どもは少しづつ少しづつ集団の1人として、どのように振舞えばよいかを理解していきます。
大人も子どもが理解できるように家庭の環境(園の環境)を整えて子供が成長するのを待つと言う事が大切ですね。
自分自身を待てない子どもは、他の子どもを待つことは出来ないですね。
小学校でも『座れない』『話が聞けない』と言う話をよく聞きます。
座って話を聞く習慣、待つ習慣が育っていないと言う事ですね。
小さいうちであれば習慣化することは可能ですが、ある程度の年齢になると難しくなっていきます。
幼児期の大切さを感じます。
今は何でも簡単に手に入れることができます。
こういう時代だからこそ、今一度『待つ』と言う事を考えても良いと思います。