モンテッソーリ教育では、話し方や声の大きさについて慎重に行います。
本を読んであげる時の抑揚もそうですが、一番は注目をそこに集めるのが目的です。
だらだら話すのではなく、目的を端的に短く話すことで子どもに伝わりやすいと言う事が大事です。
教師の声が大きくなると自然と子どもの声も大きくなり、狭い教室でみんなの声が大きくなると騒音となってしまい、こちらが伝えたいことが伝わらなかったり、子どもが注意散漫になってしまう場合があります。
大体の場合、1人の声が大きい場合に起こります。
声の大きさは自分でコントロールできるようにするのは運動と同じです。
教師が声を小さくすることで子どもは『何か言っている?』『先生の言う事を聞こう』とします。
これによって『静かにすれば聞こえる』と子どもは理解します。
何回も行うことで自然と静かな環境にすることができます。
ですので『静かにして!』と声を荒げることはしません。逆効果です。
子どもが静かにすれば聞こえると理解できるようにする事と、静かにしたい、静かにすると楽しいと思ってもらえることが大切です。
静かにできない子は他のお友達に言われたりします。これで大体の場合は静かになります。
大人より子どもの言う事を聞く場合も多いですね。
又、ベルを鳴らすことで『今静かにする時間だ』と子どもは理解していますので、お集りの時はこれを使います。
あくまでも目的は静かにすることではありません。
静かにすることで話を聞くことができると言う事です。
お家の中で静かにして欲しい時に声を大きくしてしまったりすることがあるかもしれませんね。
自分たちの生活の中に子どもの声が響くのは嬉しくもあり、楽しくもありますが、限度があると思います。
周りの人(マンションであれば隣の住人)から文句を言われても嫌ですよね。
子どもの目を見て、静かな声でゆっくりと話しかけてあげてください。
『あなたに話している』
『あなたはわかってくれる』
『あなたを信じている』
と言うメッセージを伝えてください。
子どもが『お母さんが僕を信じてる』と感じられれば聞いてくれると思います。
私が教室で声を大きくする時は『危険』な時です。
普段声を大きくしていない人の声が大きい時は子どもはすぐに感じ取ります。そして聞きます。
普段声の大きい人はさらに大きくしないと子どもは聞いてくれませんし、聞かないかもしれません。
悪循環ですね。
教師はお集りの時など全体に向かって話をしますが、中にはその時、『僕は?僕は?』『自分はどうするの?』と聞いてくるお子さんがいます。
全体に向かって話をしているのは自分も含まれていると言う事がまだ解らないのですね。
1対1だと理解できるが、全体になると理解できないと言う事は小さいうちはあります。
これも習慣的なことが大きいので大体の場合は少しずつ理解してそのうち聞いてこなくなります。
上記の子のように聞いてくる場合は、こちらは理解しやすいのですが、聞いてこないで理解していない子もいますので、その場合はこちらも何となく『そうかな?』と様子を見ていると解りますので後で呼んで話をします。
100%こちらの言う事を理解していなくても子どもは周りの様子を見て、そのように動くことができます。
これはその子の処世術ですので、このように学んでいく子供もいます。
全体で動くことの多い幼稚園ですとこれでも良いと思いますが、モンテッソーリの場合は一人一人の子どもが教師の全体に対して話した指示行動を理解できているか と言う事が大切になってきます。
自分で聞いたことを自分と言うフィルターを通し、理解し、実行出来ると言う事が望ましいと思います。
このフィルターの目はその子によって目が粗い子、とても目が細かい子と様々です。
つまりこちらからの指示に対してどれくらいフィルターに残っていくのかは子ども次第です。
勿論、教師は全員に100%残して欲しいと思っていますしその為の協力は惜しみません。
では、モンテッソーリ教育では何故しっかりと話が聞け、理解し、行動するのが望ましいと考えるのでしょうか。
子どもが指示された行動を行うことで、正しいやり方を理解し、自分と言うフィルターを通して、新しい考えを作るヒントとなっていくと言う事が言えます。
子どもは小さいが故、経験も少ないですので、自分が経験した事が良いことも悪いことも全てが自分の糧となっていきます。
この糧を基準に更に自分にとってやりやすいやり方、良いやり方を探していく事が出来ると言う事です。
悪いことであればそれを理解することができれば、フィルターから捨てていけます。
個々のフィルターは様々であって良いと思います。
100%聞いて欲しいと言う事と矛盾するかもしれませんが、これはある意味個性と言えます。
個を重視する教育でありますので、様々な個性があってよいと思います。
ただそれにはルールがあります。(他人には迷惑をかけない)
又、子どもは理解したことをそのまま小さい子に実行し教えていきます。教えられた子どもはまた下の子どもに教えていくという循環が出来ると言う事もモンテッソーリらしいと思いませんか?
ただ話を聞き、盲目的に行動するのではなく、主体的に動け、考えられると言う事が大切です。